15.11.12

The tale of the stolen tapes [a-ha-live.com - translation]


http://a-ha-live.com/the-tale-of-the-stolen-tapes/

"Tusen Takk" for Jakob @ a-ha-live.com
盗まれたテープの物語
1981年2月、戻ってきたギブソン・レス・ポール・ベースと。ポール・ワークターとヴィゴ・ボンディ

1980年12月の終わり、Poemというバンドの4人のメンバー ポール・ワークター、マグネ・フルホルメン、ヴィゴ・ボンディ、そしてオィステイン・ジェヴァノードはオスロのサウンド・アート・スタジオでニュー・アルバムの準備に忙しくしていた。


同年に彼らは「Fakkeltog」というアルバムをリリースしていたが、バンドの名前はBridgesからPoemに変えていた。

ドアーズの影響が強い「Fakkeltog」から離れ、新しいアルバムはもう少しコマーシャルな、アップテンポなものになっていた。そのうち一曲は『四月にソフト・レイン』の初期ヴァージョンだった。設備の整ったサウンド・アート・スタジオは、彼らが「Fakkeltog」を録音した工場の地下にあり理想以下の環境のオクトコン・スタジオとは対照的だった。

だが、誰かがスタジオに侵入し、テープ何本かとヴィゴのベース・ギターを盗んでいったのだ。何週間か自分たちで探してみて結果が出ず、ポールとヴィゴはAftenposten紙を訪ねることにした。

テープ盗難 (Aftenposten紙,1981年1月17日)
ロック・バンドPoemのメンバー2人が絶望して本紙を訪れた。彼らはLP作成のためにオスロのSkippergaten/Tollbugatenにあるサウンド・アート・スタジオでしばらくの間作業をしていた。しかし12月の終わりにスタジオに窃盗があり、レコーディング・テープが盗まれてしまったのだ!
 
「あのテープは、泥棒には何の価値も無いものじゃないかと思うよ。」ポール・ワークターは言う。 
「テープ自体の価値は数百クローネの価値しかないし、それは保険で取り戻せる。しかし、録音は、まだ終わってないアルバムは、僕らがスタジオでかけた時間と労力はものすごいんだ。僕らにとってはそれだけ価値のあるテープで、泥棒には価値がない。取り戻せないだろうか?」 
Poemは、以前にはBridgesという名前で知られていて、かなりの人気があった。ファースト・アルバムが無くなってしまう運命だとしたら—悲しいことだ。 
「泥棒は、ベース・ギターも盗んでいった。」ポールは言う。 
「ベースも特別なもので、人前でプレイしたり売ったりは出来ないものなんだ。ギブソン・レス・ポールのレコーディング・ベースで、この国には2本しかない。」 
もし盗んだ人か、心当たりのある人がこれを読んでPoemに申し訳ないと思ったら、テープとベース・ギターをAftenpostenのTor Marcussen宛てもしくはHavreveien 100, Oslo 6のポール・ワークターまで送って欲しい。

約1ヵ月後、Aftenposten紙に、この件の続きが掲載された。

事件は無事解決 (Aftenposten, 1981年2月28日)
本日はいいニュースがある!1ヶ月ほど前、ロック・バンドPoemのメンバーがAftenpostenを最後の望みとして訪ねて来た。彼らはスタジオでファースト・アルバムを作成していたのだが、レコーディングがほとんど終わったところでスタジオに窃盗が入ったのだ。
 
未完成のテープが盗まれ、ベーシストのヴィゴ・ボンディの特別なギブソン・レス・ポール・レコーディング・ベースも盗まれた。これらには何千クローネの価値とスタジオでかけた長い時間の価値があるという話だ。それが盗まれたのだ。 
この件は、人気コラムで取り上げ、読者には珍しいベースに注意するように呼びかけた。電話や手紙で何人かの読者からの連絡があった。新聞のギター売りますの個人広告を見つけてくれたのだ。そして、ついに一人の読者が、特に興味深い情報をもたらした。 
HaldenのTorkel Johansenというミュージシャンが、地元の新聞で、スウェーデンのSvinesundの税関の代表がこのベースを手にしている写真を見たのだ。国境を越えようとしている若者の車で、拳銃とドラッグと一緒に見つかったという。車は調べられ、ベースは押収された。Torkelはこのベースに気がつき、Aftenpostenに電話をかけてきた。 
この情報は警察とPoemにも連絡され、本日ヴィゴの元にベースが戻った!そして未完成のテープはPoemに帰ってきた。 
ポール・ワークターとヴィゴ・ボンディはTorkel Johansenとサウンド・アート・スタジオのオーナーに感謝している。スタジオ・オーナーはレコーディングを完成させるため、特別な扱いをしてくれたのだ。さあ、ヴィゴと貴重なベースが戻ってきた。LPが完成することだろう。

こうして幸運にも盗まれたものが戻ってきたにも関わらず、バンド内には軋轢が起こっていた。ヴィゴとオィステインは、果てしないリハーサルやスタジオ作業ではなく、もっとライヴをしたかったのだ。
そして、スタジオのためにとっておいたお金も尽きてしまった。マグネがコルグのシンセサイザーに何千クローネも使い、ポールがギター・シンセをロンドンまで買いに行ったりしたためだ。
サウンド・アート・スタジオにて、1981年。マグネとポールとプロデューサーのSvein Erichsen(左)

Poemのアルバムのセッションを保留しておいて、ポールとマグネは二人でスタジオに入り『オール・ザ・プレインズ(All The Planes That Come In On The Quiet)』を録音した。二人の最新の機材を使って。それは、以前の彼らとは違う、エレクトロニックな作品だった。この曲は、後にa-haで何バージョンか録音されることとなる。

Poemのテープが戻ったのち、数曲は完成され、ミックスされた。マグネはアルバム・ジャケットのデザインを済ませていた。しかしアルバムがリリースされることはなかった。

1981年の夏、モートン・ハルケットという名前の21歳のヴォーカリストがPoemのオーディションを受けた。彼はBridgesのメンバーに1979年に初めて会っており、このたび、彼らの新しいリード・シンガーになれるかどうか知りたかったのだ。メンバーは彼のヴォーカルの可能性に感動したが、ちょっとした行き違いがあり、その後何かが起こることはなかった。

Poemのメンバーが一緒に演奏した最後が、その夏の終わりだった。ヴィゴとオィステインは、ロンドンに一緒に行ってレコード契約を結ばないかと訊ねられたが、二人にはポールとマグネほどの情熱はなかった。

1981年の11月、こうしたわけで、ポールとマグネは二人でロンドンに渡った。バンドなしで、音楽業界に何のつてもなく。彼らが持っていたのは10,000クローネ、そしてたっぷりの自信と野心ある計画だけだった。

ロンドンでは、いくつかの音楽紙に個人広告を出し、結果として、しばらくの間ハープ奏者とのリハーサルもした。だがそれ以上のことは何も起こらなかった。

1982年の6月、彼らはノルウェーに戻り、モートンにもう一度会おうということにした。そして、歴史がはじまった…。

英訳:ジェイコブ(訳注←ノルウェー語だと「ヤコブ」か?…ごめんねJakob)
資料:新聞のアーカイブと、書籍「 Så blåser det på jorden」

【追記情報】

これが、噂のベースです(いずれもノルウェーのサイトで同じ記事なんですが写真が違うのはいったい何故?そしてこの写真は本当にヴィゴ本人のベースなんだろうか?)
正式の名前は Gibson Les Paul Triumphっていうんですね。「レコーディング・ベース」ってのは、スタジオ用に特化したものだからという意味の通称のようです。

Play Da Bass ←一応言っておくと「da」ってのは「the」をちょっとかっこよく?言っているのです
http://www.playdabass.com/2012/06/24/gibson-les-paul-triumph-2/
Bass Strings
http://www.bassstrings.info/bass-guitars/gibson-les-paul-triumph/

【おまけ】

聖オーラヴ勲章をいただいた際に、ヴィゴがスピーチしていたので、ヴィゴのスピーチを翻訳したかったのですが、a-ha-live.comに載っていたこの話のほうが面白くて、とりあえず、世間がまだまだ勲章で盛り上がっているのに、やっつけてみました(あ、私自身も、勿論、勲章いただいたことで非常に感動しているんですよ!誤解しないでくださいな…でも勲章ネタは他で読めるしね!)。

文中に出てくる『四月にソフト・レイン』ですが、Bridgesヴァージョンということで聴いたことがあります(Poemのだったのか?まあメンバー同じだからどうでもいいんですが)。勿論ポールがヴォーカルです。いや~~ ホントに良かった。ポール・ファンとしては、もう泣けました。あの曲はモートンじゃなくてポールのヴォーカルのほうがいいのでは…。もう一度聴きたいなぁ(音源持ってません!念のため)。 この曲、ロンドンで望郷の想いで書いた曲だとばかり思っていたんですが、歌詞もアレンジもほとんどa-haヴァージョンと同じで、めっちゃびっくりしました。

 最後の、資料として名前があがっている書籍「Så blåser det på jorden」の題名の意味は「そんなふうに地球に風が吹く」。昔は「だから地球に風が吹く」っていうタイトルで呼ばれていた気がします。…日本発売時のタイトル「だ・き・し・め・て(「・」はいちいちハートマーク^^;)」←実は、タイトルが恥ずかしすぎて当時買えませんでした(だってすでにオトナだったんですもん…その後20年以上たって、他のバンド関連の知人が、何故かロンドンで下さいましたが(古本屋で見つけたとかで)、もう、持ってるだけで恥ずかしくて、触れません、開けません(爆)ノルウェー語のほうは持っているんですが…やっぱり日本語のほうも読まなきゃダメ?(苦笑)

念のため書いておきますが、文中の住所にはポール及びご家族は現在お住まいではありませんので、手紙を送ったりしないように!(笑)