1.5.12

Big in Japan: a-ha in awe of gadgets, dedicated fans and sumo [CNN 23.09.2010]


http://www.cnngo.com/tokyo/play/big-japan-ha-awe-gadgets-dedicated-fans-and-sumo-culture-736801

日本でメジャー: a-ha、ガジェット、熱心なファン、そして相撲に恐れ入る
25年を忠実な日本のファンと過ごしてきたノルウエーの3人組a-ha
By Robert Michael Poole 23 September, 2010

 a-haのサマーソニック・フェスティヴァルのステージを盛り上げるモートン・ハルケット


アルファビルが『ビッグ・イン・ジャパン』を歌った1984年、日本という国でビッグであるということは、自国で成功できないという意味も含んでいて、ネガティブな意味だった。こんにち、日本の音楽産業は、ほとんどの西欧諸国よりも持ちこたえており、アーティストにとって旨みのある市場だ。

25年のキャリアになるノルウェーのポップ・トリオは、最近ファイナル・ツアーで東京へやって来た。この都市での最大のフェス、サマーソニックに出演するために。豪華な新宿のホテルで、バンドは、西洋のアーティストが日本で受けてきた特別な扱いや忠誠心について回想した。

「僕達、その時初めて寿司を食べたんだと思うな。まだヨーロッパではあんまりメジャーじゃなかったから。」キーボード・プレイヤーのマグネ・フルホルメンが1985年最初のプロモーション来日の時のことを語る。

「かなりショックだった。」ギタリストのポール・ワークター=サヴォイが続ける。
「俺たちは、スタートしたのが早かったんで、ノルウェーから出てきて世界を見るにはちょっとまだ若かった。世界も今とは違っていて、自分たちの想像を超えていた。俺たちは目立ってしまっていたし、あの頃は道を歩いていてもこんなに英語は見かけなかったよ。」


誠実なファンの新世代

バンドは1986年、ファースト・ツアーのために戻り、前回の2009年の来日は「フット・オブ・ザ・マウンテン」のプロモートのためだった。そのアルバムで彼らは、自ら、80年代ポップのファンと再び結びつき、そして彼らa-haに影響を受け、またa-ha自身もインスパイアされているバンド Coldplay、Keane、Jonas Brothersといったバンドのファンたちの新しい波ももたらした。
「俺たちのオーディエンスは3世代から4世代に渡っているね。ファン像は多岐にわたっているから明確にするのは難しいな。だけどとにかく、始めた頃とはとても違ってる。」ワークター=サヴォイが言う。

リード・シンガーのモートン・ハルケットは、ヒルトン・ホテルでの朝早くのインタビューに有名人っぽく遅れて登場した。「(声のために)沢山眠らなきゃならないからね。 少なくとも、ギリギリのポイントより少し長くはね。だからそういうことのほうが優先。」などと言い訳をしながら。  

日本のファンの崇拝と言えば、彼はこんなふうに説明する。「強い忠誠心がある。ここではそうなんだ。西洋人には驚きだよ。手紙から何もかもにわたってね。僕らには目新しいものだったんだけど、ここではいつもそういうふうなんだ。」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        


TV番組の景品が歓迎の証

「初来日は本当にエキゾチックな経験で、僕たちはこの国に恋してしまったよ。」フルホルメンは言う。

「うちの息子たちがここに来るのは2度目なんだけど、10年前の写真をファン達からもらったから、僕らがやることなすこと記録してる人たちのことを思い出したよ。」

「あの頃は素晴らしいしきたりがあってね。」ワークター=サヴォイが言う。「テレビ番組に出るたびに何か電化製品の小物(ガジェット)をもらうんだ。あんまりお金がない頃だったから、もう『すっげえ!見ろよコレ!』って感じだったね。」

「今でも、プレゼントの伝統は続いてるよ。」フルホルメンが言う。

「落ち着いてファンの手紙に返事が書けないのを、本当に申し訳なく思ってる。だけど今回の来日では、自分が受け取った手紙すべてには全部返事を書かなきゃならないって思ってる。本当によく考え抜かれたプレゼントを受け取ったりするのは真実で、何か違った形でその親切には好意を返さなきゃと思うはずだ。」

日本のファンの献身がバンドの心を打ったのは明らかだ。だがワークター=サヴォイには、彼の結婚生活への面白い影響もあった。

「うちの奥さんが、25年たっても未だに『ぽおるぅ』って呼ぶんだよ。こっちのファンの真似をしてね。困ったもんだ!」彼は言う。


強烈な手紙

a-haのキャリアは1985年のファースト・シングル『テイク・オン・ミー』が世界中でトップになった時にテイク・オフし、その後さらに『シャイン・オン・TV』『クライ・ウルフ』やジェームズ・ボンドのテーマ『リヴィング・デイライツ』などのNo.1も含むヒット・シングルが続いた。

「あの頃の僕らは、ポップ現象とでも言うべきものだったな。」フルホルメンが言う。

「だけど20年の間ずっとファン達がそこにいるのは、音楽がある種の感情へのインパクトを持っているからなんだ。手紙には、いつもそういうことが書いてある。彼らにとって人生の中で音楽がどれだけの意味を持っていたか、そして今彼らは自分達の子供たちをその中に巻込んでいるんだ。」

「もらった手紙の何通かに『私の子はまだ話せないのに車の中で歌っています』って書いてあった。音楽はその時代の過去のものだけど、僕らの初期の作品は、すべてを超えてしまったんだ。(日本では)ファン層は、とても忠実で、いい時も悪い時もa-haを支持し続けてくれた。活動停止していたときも、戻ってきたときもね。そしてまだ存在してくれている。」

1980年代に、a-haは日本で同人コミック誌を作られるほどの存在だった。フルホルメンは、そういう本を、まだ屋根裏にしまってあると認める。

「思い出は強烈で、バラバラに切り離すことは大変で、僕らは彼らの青春と人格形成の一部で、だけど、僕らはいつもそう感じていた・・・(同人誌は)かなり手が込んで、よく出来たものだったし、僕らは未だに80年代からの写真のメモリー・ブックを受け取る。それは、彼らの人生の一部であり、彼らが僕らの人生の一部であるっていうことで、20年たって、今見返して、そう思う。」

a-haのレコード会社ですら、この忠誠心のレベルを理解するようになった。ヒット・コレクション「25~コンプリート・ベスト」が今月発売になるが、この国のファンはボーナス・ディスク用の収録曲を決定するように訊かれたのだ(訳注:日本の皆さんはご存知だとは思いますが、ボーナス・ディスクではなく、アルバム全体の収録曲が投票で決定されました。曲順は得票順です。このようになったのは日本盤だけで、海外盤は基本同じです。ただしiTunes版は別)。


フェス文化

a-haの日本でのファイナル・ショウは、珍しいフェスへの出演だった。日本最大のステージ、サマーソニックで、彼らはぎゅうぎゅうのソニック・ステージの客をスマートなセットでうっとりさせた。

「北欧人らしい気難しさで(他のバンドを)不愉快にしてやる価値はあると思うね!」フルホルメンが冗談を言う。

「だけど僕らは他のバンドともうまくやれるし、フェスにはいいヴァイブがあるよね。」

バンドは、去年からのツアーに、日本公演をうまく組み込めなかったことを認めている。

「さよならのはずじゃなかったんだけど、そういうふうになっちゃったんだ」フルホルメンは言う。

「日本公演は最後のウィニング・ランみたいなもののつもりだったのに、ツアーを長く続けることになっちゃって、その瞬間を存分に楽しもうってことになったんだ。この興奮のレベルのままで終わりを迎えられるのはいい感じだよ。」

「フェスティバル出演は、諸刃の剣だ。a-haは雰囲気作りが上手なのが強みだと思うし、屋内でフルの長さのショウをやるのが、そういうふうにしやすいし。でも、フェスではもっと開放的にならなきゃいけないし、プロダクションは自分のじゃなくてもいいし、雰囲気も違う。でも、健康的だと思うよ。」


エキゾチズム再発見

バンドの日本への親近感は、さらに文化を深く知りたいという気持ちを呼び起こした。今回の旅でフルホルメンは、有名な力士二人、武蔵丸と小錦に会えるようにしてもらった。

二人ともすでに引退している。a-haの初来日のころには現役だったのだが。

「まだ武蔵丸は大きいんだよ。でも小錦は現役時代から340ポンドも減量したんだ。それでもまだ大きいんだけどね。」フルホルメンが言う。

「部屋に行って、座って、彼らと同じものを食べたんだ。」

そしてさらに彼は指摘した。「先週、オスロで、こっちに来てからより、もっと寿司を食べたよ。初来日の頃から、どれだけ世界が変わったかっていう、おかしな事実だよね。」


★写真のキャプションは、一番最初のもの以外、英語が残っていなかったので割愛しました。

【補足というか何というか・・・】

この記事、すでに正式な日本版があるのはファンの皆様はご存知だと思います。
http://www.cnngo.com/ja/tokyo/play/big-japan-ha-awe-gadgets-dedicated-fans-and-sumo-615072
しかし・・・この日本語版・・・どうも読んでいて違和感が・・・^^; 
主として発言が「主語が私」で「ですます調」なのが原因だとは思うのですが。
(そして明らかな誤訳も・・・)
そこで、あまりの気持ち悪さに自分でも訳してみようと思い立ちました・・・。
実は、私は、この日の取材通訳をしていたため、このインタビューが行われるのを同じ部屋で見ていました(爆) つまり、その場の雰囲気を知っているので、それを反映した日本語版にしたかったというのもあります。
CNNの記者の方が海外の方だったので、もちろんインタビューは英語で行われたのですが、はっきり覚えていなかったことを、(私がファンだとわかっているので)メンバーに質問されて補足してあげたり(文中ではそんなことはわからないようになっていますが)、ポールがローレンに「ぽおるう」(こんな感じの発音でした)と呼ばれているというのを聞いて内心噴出したり(蛇足ながら、同日行われた「大人のロック」の元ディレクターS氏との対談でも、ポールは「ぷろも」と見事な日本語発音で言っていて、さすが語学堪能なポールだと関心した私でした)、自分が通訳ではなかったのですが、本当に思い出深いインタビューです。

ガジェットというのは、電子小物・・・とでも訳せばいいのか?その手のメディア(週刊アスキーとか)では「ガジェット」のままで表記されているのですが、わからない方には、オトコノコが大好きな「おもしろツール」とでも。 電子じゃないけどサバイバル・ナイフとか、電子手帳とか、ICレコーダーとか・・・スマートフォンもガジェットのくくりになるみたいです。ガジェット大好きな私としては、当時の彼らがいったい何をもらったのかが気になっています(笑)。

文中に出てくる、「同人コミック誌」=原文では「cartoon books made in Japan(日本製のマンガ本)」の部分について。
おそらく、記者の方もわかっていないと思われるのですが(なんせアンダーグラウンドな世界のことですから)、当時、世界中に「私設ファンクラブ」というものがあり(a-haだけに限らない話です)、日本にもいくつかのファンクラブがありました。それと同時に、日本独特(だった)「同人誌文化」というものがありまして、今でも「薄い本」などと言わるものがあったり、コミケ(コミックマーケット及び同様の同人誌即売会)も健在だったりするわけですが、洋楽同人誌というものも、そこそこ存在していたのです。
a-haの本、a-ha以外のミュージシャンと一緒にネタにされている同人誌、私も色々見ました・・・というか、自分も洋楽仲間とそういうものを作ったりして遊んでいたので・・・(自爆)。『同人誌』って何?という方もいるでしょうが、ほぼ「内輪ノリ」で成り立ったミニコミ誌のようなものとでも・・・文章のみのものもありますが、マンガが多いです・・・あ、くれぐれも「同人誌」で画像検索しないほうがいいです・・・(エロ画像がいっぱい出てくる可能性がw) 今でもそうだと思いますが、女性向け同人誌って、特にルックスがいいバンドの場合は、ホモネタが多かったので、当然a-haのそういうマンガも見ました・・・(冷や汗)・・・あ、私がかかわっていたところでは、a-haだけはホモネタになっていませんでした。お笑いネタにはなっていたのですが。何故だろう(笑)
a-ha以外のバンドで、そういう同人誌をメンバーにプレゼントする風習のようなものが見られていたので(何故わかるかというと、「前に作った本をメンバーに渡しましたレポート」が載っていたりするのです。もちろん渡す方法は「おっかけ」が主です)、a-haのメンバーにプレゼントした人もいたのだと思われます。
さて、そういう、同人サークル以外に、前述の私設ファンクラブでも同人誌のようなものを作っていたりしました(マンガを描ける人は、どこにでもいたのです)し、英語版を作ってメンバーにプレゼントしたりして、2010年12月にオスロ図書館で開かれていたa-ha展でもマグネがそういうものを出品していましたね。

Qで始まる超メジャーバンドがどうしてあんなに日本で人気が出たのかということを、あるロック雑誌で考察した際に「全員ルックスがいい」「全員キャラ立ちしている」「だからネタになりやすい」「音楽性や歌詞がイマジネーションをかきたてる」などの理由をあげたのですが、こういう理由で同人誌でも人気になるようなアーティストは、日本での(アイドル的な)人気は長持ちします(同人誌を読まない人も日本人なので同じ傾向があります)。某Q以外だと、Led ZeppelinやRainbow, Bon Joviなどもそうです。ええ、ZepもRainbowもHR界では女性ファンにアイドル的にいじられていたんですよ。a-haも、そういう意味で、法則にバッチリあてはまっていたと私は思っています。

(私はa-haにアイドル的人気があったことは否定はしません。音楽性やアート性など含め、多角的な魅力があるからこそ世界中でメジャーになれたのですから。それはどんなバンドでも同じことです。The Beatlesだってそうでした。そして、ミュージシャンとしてのファンであればルックス以外にも目が行くはずだと信じています)


小錦の、マグネが来た日について書いたブログ
http://ameblo.jp/konishiki-power/entry-10611447991.html
(歌手のAHA・・・う~ん・・・苦笑)
武蔵丸の、マグネが来たことについて書いた日記
http://www.musashimaru.net/diaryblog/2010/08/world-widesumo.html

実は、インタビューが終わったあとにも、まだマグネは小錦の減量のことをモートンに語っていたんですが、いったい何がそんなにマグネの琴線に触れたのかは謎です(そしてモートンは「ふーん、でも元が大きかったんだからそれぐらい減っても関係ないんじゃない?」みたいに興味がない感じで対応していたので、ますますおかしかった)。