http://www.sonicscoop.com/2012/04/01/paul-savoy-of-a-ha-inside-his-soho-song-incubator/
8ヶ月ぶりのインタビューです!本文終了後の写真の説明は、また後ほど加えます。また、本文も修正の可能性があります(楽器・機材に詳しい知人に確認してもらいます)
a-haのポール・サヴォイ、ソーホーでくつろぐ(写真:ローレン・ワークター=サヴォイ)
さて、今日の小旅行は、あなたをスタジオへ導いている。締め切りなんてない、そしてただひとつのプレッシャーが、自分の作曲を乗り越えることだけの場所へ。到着した入り口の持ち主は、ポール・ワークター=サヴォイ、またの名をポール・サヴォイ、世界的有名グループa-haの創立メンバーの一人、その人だ。 彼の王国へようこそ--考えられる限り、世界で最高の場所に着いたのだ。
「大人になったら、好きな事だけしたいよね。」サヴォイは柔らかな口調で言う。「NYCで最初にデモ・スタジオを始めたときには、全部がテープの機械だったけど、今やいい音のアルバムを作りやすくなった。テクノロジーのおかげで、もっと自分にとって重要な事に時間を割ける。」
ハーモニーのとれた部屋
その「事」とは、曲で、サヴォイのソーホーのスタジオは、4分4秒の魔法を、どんどん孵化させている。もちろんだろう? a-haとの仕事で、ノルウェー出身のこのギタリストとそのバンド仲間は、よく出来た曲が持つパワーを実感した。今にいたるまで、グループは36,000,000枚のアルバム、15,000,000枚のシングルを世界的に売り、198,000人の大観衆の前でプレイし、バンドの終わるまでに9枚のレコードをリリースした。1982年から公式な解散の2010年まで。
a-haが故郷のオスロと深く結びついているおかげで、サヴォイはNYCで幸せに暮らすことを時々見失いがちだ。だが実際、マンハッタンのダウンタウンのオアシスは、彼がa-haのデビュー・アルバム「ハンティング・ハイ・アンド・ロウ」をリリースした直後から、自然にフィットしていた。
「あの頃は、俺たちはずっと旅をしていたから、どこに住んでいるとも言えない状態だったよ!」サヴォイは思い返す。「だけど、プロモーションで初めてNYCに来たとき、ソーホーに惚れちゃったんだ。『ここだ!』って感じだった。」
それから30年近く経っても、ソーホーは、彼が自分自身のバンドSavoyの新しい曲を書くための理想的な場所として存在している。Savoyでは彼の妻ローレンもヴォーカルをとっており、他のソングライターともコラボレーションしている、そして映画のための音楽も創っている。サヴォイの終わりない創作への献身は、エンジニア Eliot Leighに加え、ギター、シンセ、アナログ・ハードウェアとデジタル・ツールすべてがひとつの部屋の中で心地よく息づいており、彼が時間をかけて道具を吟味しているためにごちゃごちゃになりすぎていないことで可能になっている。
足を踏み入れると:Moog Taurus 3がドアのところで挨拶してくれる(写真:デイヴィッド・ワイス)
「10年前には、トライデントの卓を持っていて、シンセが全部ブックに入っていて、天井まで積みあがってたね。」サヴォイが「より少なく、より良く」革命について説明する。「今はもっとコンピュータ・ベースになってるから、本当に気に入ってるものだけに絞って、余裕ある空間に出来るんだ。」
「かなりいいよ。実験的なことをするのは好きだけど、物が沢山ありすぎると、なかなか取り掛かれないんだ。15,000もプリセットしなきゃいけないシンセなんて、「ロード・オブ・ザ・リング」みたいだよ、終わりがない。」
クリエイティヴなワークフロー
現在のシングル曲万歳な風潮において、サヴォイは、アルバム志向の考えから、自分が解き放たれたと感じている。結果として、スタジオでは、Leighが、サヴォイがアコースティック・ギターとピアノで奏でた外側から、アイディアをすばやく捕らえ、好きなように機材を使って音楽的アイディアを追求できる。LeighはiZ RADARのコンバーターを使ってロジックでレコーディングしていて、限りなく原音に近く扱うことが可能だ。
「レコーディングにおける私の哲学は、その瞬間の最高のサウンドを捉えること--入力のプロセスには非常に気を使っているが、後ではそれほどでもない。」Leighが説明する。「スタンダードなセットアップというものは、何事にも存在しないんだ、実際。私たちは、よく、その時気に入っているものでたまたまレコーディングするものさ。」サヴォイとLeighのチョイスには、ブルー・ストライプのUrei 1176、LA-2A, Gates Sta-Levelリミッター/コンプレッサー(「秘密の真空管アップグレード」済み)や、アビー・ロード・スタジオから直接持ってきたEMIのリミッター、今は亡きBearsville(レコード)のNeveコンプレッサー、Anamod ATS-1アナログ・テープ・レコーダー、そしてBel Electronicsのステレオ・フランジャー。クラシックなリヴァーブ用には、Great British Spring, EMT, Echoplex、またAKG BX-10とBX-20なども、わけあって存在している。
「時には、リヴァーブからトラック全体のヴァイブを得られたりするんだ。」サヴォイが言う。「とても重要でもある。俺が書く曲のほとんどには、独特の雰囲気が必要だから、楽器やヴォーカルにそういう効果を与えるのに神経を使う--背筋がゾクゾクするのがいいんだ。そう感じないなら、他のことをするね。もちろん、パフォーマンスが一番大事なことなんだけど、そうせずにはいられない。」
スタジオのモニターはYamahaのNS-10とKlein & Hummel O300で、サヴォイとLeighはロジックでラフ・ミックスをする。UADで好きなだけマルチ・アナログ・リヴァーブをかけながらセーヴする。「私たちのミキシング・アプローチは、曲に必要なものによるのです。」Leighは語る。「とてもエレクトロニックな曲もありますし、クラシックなソングライター・タイプな曲もあります。後者のような場合は、古い感じのヴァイブを加えたいので、古い機材を使います。」
ムードを作ってくれる大量のペダルたち(写真:デイヴィッド・ワイス)
ソーホーの空間でミキシングが簡単に完了している間、サヴォイはもう一度音楽を密室から外に出して、ある点まで仕上げていく。「クリーンでフレッシュな耳が素材に向かうのはいいことだよ。」彼は答える。「しばらくの間何かに向かっていると、新しい何かを付け加えるのは難しくなる。」
彼の遠近法からのヒット曲たち
どんなプロジェクトだろうが、どんなに時間がかかろうが、サヴォイは、まったくの大ヒットの数々を作り上げた人として、かけがえのない遠近法を持っている。 a-haの『テイク・オン・ミー』は、間違いなく20世紀のもっともうきうきする曲のひとつだろうし、その後、『シャイン・オン・TV』、『ハンティング・ハイ・アンド・ロゥ』やジェームズ・ボンドの映画テーマ『リヴィング・デイライツ』、そしてバラード『サマー・ムーヴド・オン(果てしない夏)』といった国際的ヒット曲の羅列が続く。
サヴォイは、国際的ヒットを書くという独特の満足を得たにかかわらず、ヒット曲というものに対してフォーカスした定義を持っている。「ヒットというのは、俺にとって、心を動かすものだ。」彼は簡単に説明する。「キャッチーな曲やラジオでかかる曲だから心が動くというわけじゃない。そんなもののために俺は頑張り続けているわけじゃない。a-haでは、俺たちは、曲にヴァイブがあるかどうかで決定していた、それで沢山の人に同じヴァイブが伝わった。それよりややこしいことなんかないんだ。だから、俺たちが自分たちで思った曲はみんなヒットした。」
このオスロからNYCへの移住者へのオープンな招待は彼のNYCでの現在のコネクションに実証されている。ぞくぞくするような驚きがある。「ここでは、沢山の才能ある人たちが、クールなことをやっている。すごく刺激されるよ。」ポール・サヴォイは言う。「刺激的な感じは、治まらないんだ。」
---デイヴィッド・ワイス