28.3.12

Nytt Waaktaar-Savoy-prosjekt blir «Hodejegerne»-låt [VG 25.6.2011]

http://www.vg.no/rampelys/artikkel.php?artid=10096047
16:06 (VG) (2011年6月25日)
↑このリンク先ページの上のほうにある 大きな画像 VG TVをクリックすると、しばらくCMが流れてからWeathervaneの3分ほどのインタビュー動画(英語)が始まります。ぜひ、見られるうちにごらんください。
(※動画からの書き起こし翻訳も別ページにあり。微妙に内容が違います)

サヴォイの新しいプロジェクトは「ヘッドハンターズ」の曲

(VG Nett)ポール・ワークター=サヴォイがa-ha後初めてのプロジェクトで戻って来た。これから公開の、話題のヨー・ネスボ原作のクライム・アクション映画「ヘッドハンターズ」のメイン・テーマだ。
その曲は"Weatherbane(風向計)"、ポールがニュー・ヨークのコミュニティでの長年の友人ジミー・ネッコ(37歳)と始めた音楽プロジェクトの名前と同じだ。
Savoyを始めた1996年ごろ、共通の友人を通して知り合ったんだ。そして、他の何よりも"The Breakers"(2004年のアルバムSavoy収録)に貢献してくれたし、去年のa-haのツアーの終わりのほう、秋に、場をあっためてくれた(訳注:前座をしたということ)。僕はすごく感激したし、何か一緒にやれたらいいなって時々話をした。それがa-haの最後のツアーだったから、そういう会話になったんだ。ポール・ワークター=サヴォイ(49歳)はVGに語った。

2003年から2004年ごろ、僕はたまたま新しいことをしたいと思っていた。僕はずっとa-haのファンで、特にポールのソングライティングが好きだった。しばらく、僕は、Savoyのリード・シンガーになれる方法はないかなって考えてたよ。ジミーは笑う。

バックレーの友人

彼は無名の少年ではない。ネッコは、ちょっと怖いような声の持ち主-後期ジェフ・バックレー(訳注:早世した伝説のシンガー)の親しい友人であり、2004年、バンドOursがロサンゼルスに移ってリック・ルービン(訳注:超有名プロデューサーです)と4枚目のアルバムをレコーディングした際には、欠かすことのできない人物だった。
結局、"Mercy"(訳注:Oursのアルバム)は4年後まで完成しなかった。
アルバムにはとても満足しているけど、時間がかかりすぎたね。僕らのまわりの業界がすべて変わって、物事がややこしくなった。結局、他のことをしなきゃいけなくなったんだ。こう語るジミーは、昨年ソロ・アルバム"The Heart"をリリースしている。

新しいキャリアのステップ

ポールにとって、12月4日、a-haとの最後の夜は、彼のキャリアにとって、文字通りの踏み切り板だった。

まったくの偶然だったんだけど、必然だったんだとも思うよ。オスロ・スペクトラムでの最後のコンサートの後、シティ・ホールで大きなお別れパーティがあって、そこに、「ヘッドハンター」の監督のMorten Tyldumが来ていて、映画に使える曲が残ってないかどうか、僕に尋ねてきたんだ。ちょうどこの曲を書いたばかりだったんだよ。ワークター=サヴォイは微笑んだ。
12月4日のコンサートの後、楽屋は特別な雰囲気だったことを、彼は認める。

なんていうか、変な感じだった。その時は、そのせいだと思わなかったけど。ものすごい長いツアーをしてきたあとで、最後にパーティが待っていた。a-haの25年の最後というだけじゃなくて。ポールは、その後6ヶ月の間に、過去のバンド仲間モートン・ハルケットが現在何をしているのかまったくわからないままに何度か連絡をとったと言う。

マグネ・フルホルメンは、a-haが終わったあとも、ミュージシャン、そしてヴィジュアル・アーティストとして、活動を続けている。

とにかくワークター=サヴォイは、ソングライターとして、もしくは、さらにプロデューサーとして、長年、黒子のようだったと自覚しているし、1月からもそうだった。

だけど、今回の機会は、過去を置き去って逃げるのにぴったりだった。今回の展開は良かったよ。Weathervaneは、適当に結成されたわけじゃなくて、僕らは長いこと知り合い同士だったわけだし、彼の声は僕の曲を最大限に活かせるレンジを持っているしね。