ノルウェーの有力紙 Dagbladetに掲載されたものを英語にした方(ノルウェーの個人ファン)がいて、その翻訳です。原文にはあたっていないのと、ノルウェー語からの翻訳があまりスマートでないので、日本語にするとかなり意味不明な部分がありますが、原文が入手できたらまた改訂版を掲載する予定です。時期が時期なので興味深いインタビューなので、ぜひ掲載したかったのです。Dagbladetのサイト、2000年以前の記事は検索できないんですよ。がっくり。ポールのアハ体験(注・ノルウェー語では「a-haでの冒険」という意味にもなる)
ワークター=サヴォイ氏は、この秋起こったことでかなり喜んでいる。まず、ローレンとの間に息子True August(友人や家族の間ではAugieと呼ばれている)が生まれたこと、そしてSavoyのニュー・アルバム「マウンテンズ・オブ・タイム」がVG誌とDagbladet誌で6点中満点とすばらしいレビューで大喝采を浴びたことだ。
「ギターを弾き始めたころ、新聞を開いて『やった、6点満点だぜ!』って言えたらいいなぁって思っていたよ。」ポールは弊誌の絶賛とセールスの数字の記事がまぶしくてパラソルの影から笑った。
普通ポールは自分が90年代にSavoyについて語りたがっているときに記者が80年代のa-haの想い出を語りたがると喜ばない。今日のポールは皮肉な小声で古い成果と新しい話を語り、不本意を明らかにした。
キャーキャー叫ぶファンの前に今また立つなんておかしいと思いませんか?
「ああ、それが今起きていることだね。ステージまん前の12歳の子のところに戻ることがね。」
ポールは特別面白い人間だと思われてはいなかったが、今や皮肉を言う余裕がある。
「叫ぶのは、もうティーンエイジャーだけじゃないんだぜ。平均的なポップファンは7歳の女の子だ。ちょっと時間があれば、生まれたての赤ちゃんたちという広大なマーケットに焦点も当てられる。」
ついに笑いが起こった。笑いは長く続いた。この秋の大傑作アルバムで、Manglerud出身のソングライターは、銀行までの道、笑いが止まらないだろう。彼は、欲求不満のスーパー・ティーン・アイドル・バンドのひとつがポスター・バンドの状態からシリアスなオーケストラになろうともがいているのを蔑んで笑った連中みんなに中指を立てたっていい。非常に成功はしていないが。
「プロデューサーとか、業界の人間と戦い続けるのにもううんざりしてたし、疲れていたんだ。a-haには音楽をフォーマットするSpin Doctor(※)は必要ない。僕らは商品の動物で、セールスが音楽の進歩を定義するのを見るのが憂鬱だった。」
※「ノートン・ユーティリティーズ」に含まれていた、作業中の動画が可愛かった、あれですか?(笑)だとしたらポールは昔からやっぱりMacユーザーなのですな(訳者)
そしてその頂点で、君たちは落ちた。モートン・ハルケットと君がね?
「俺はむかついた。」
なぜ?
「それは、誰もモートンのソロ・アルバムについて教えてくれなかったからだ。だいたいまずa-ha内部ですら同意していなかったし、俺は自分たちが続けるって思っていたし。だから仕事を続けていた。曲を書いていた。その一年が無駄になった。 10年も一緒に仕事をしてきたら、何が起こってるのか俺に教えてくれる奴がいるはずだ。」ポールは、マネージメントの中の声が大きい人から、たまたまモートンのソロ・デビューについて耳にしたのだ…
「後になってみれば、まあ悪くはなかったかな。俺は新しいバンドを探し始めて -- あまりにひどいヴォーカリストがいっぱいで信じられなかったけど -- それからローレンが演奏を始めるようになった。信じられなかったな。まさに授かりものだったよ。今やa-haと録音してきたものよりもSavoyとの録音のほうが多いんだよ。活動した時間は三分の一なのに。」
ポールは11歳のころから輝く才能の種を蒔いていた。そして今や樹上には6点満点が実っている。Savoyの枝だけではない。Dagbladet誌の批評家は、昨年のノーベル賞授賞式コンサートでのa-haのセンセーショナルな活動再開のことは考慮せずにその評価をしたのだ。1月にa-haは「遥かなる空と大地(マイナー・アース・メジャー・スカイ)」というアルバムで戻ってくる。ドイツ風に効率的に徹底的に、世界中で発売されるはずだ。ワークターは楽観的だ。
「a-haが日中に100,000人の前でプレイできるとしたら、Savoyは夜の間、小さなクラブで 演奏できる。そうすれば俺はうれしい。」
全部のプロジェクトがポシャったら?
「ポシャるとしたら、めっちゃポシャるね。」
1986年6月、Dagbladet誌には、こんなふうに書かれた。「a-haはロンドンを電気ハンドルつきのリムジンで移動している。連中が車に乗ると、電気のスイッチが入り、クレイジーなファンがドアを開けようとすると軽い電気ショックが起きるのだ。」
ポール・ワークター=サヴォイは、頭を振って、懐かしい時代のひどい過去をさらに思い出そうとした。Norsk Telegram Byraa(訳注:ノルウェーにおけるロイターのようなもの)が『テイク・オン・ミー』がアメリカのビルボード誌でナンバー1からナンバー3に落ちたと伝えたこと。デビュー・アルバム「ハンティング・ハイ・アンド・ロウ」が7,000,000枚売れたこと。モートン、マグス、ポールが一日に18もインタビューを受けたこと。
とんでもないことになる前、彼らは無敵のUKチャートトップ10に8曲も入っていた。a-haはマドンナよりも売れていた。ダイアー・ストレイツぐらいすごかった。新聞にはこの狂乱状態はザ・ビートルズの栄光の時代以来だと書かれた。モートン・ハルケットは上腕二等筋を収縮させ、マグネ・フルホルメンはみんなをからかった。ポールは気楽にしていた。a-haがリオで記録的な200,000人のオーディエンスの前で演奏したときでさえ、ワークターはクールだった。
「ただのゲームだったのさ。ツアーの間、俺たちはすべてを管理しようとする。モートンは前から数列目までの面倒を見る、マグネは群集を扱う。俺はホールの裏で、ごく少数の内気な連中とコミュニケートする、と。」
でも、君は何を考えていたの?
「ミック・ジャガーみたいになれたらなあって。」
さてポールは父親になった。Augieはa-haやSavoyのプロジェクトに、いい時も悪い時もついてくるだろう。すべてはまるで「ハンキー・ドリー」(訳注:David Bowieが息子のことを歌った曲が収められたアルバム)である。スター(星)を脅かす雲なんてもうかからないだろう。だが?
「a-haの問題は、全員が他の誰かになりたがっているっていうことだ。俺は歌いたい。モートンは曲を書きたい。マグネは・・・。
俺たちは何枚もレコーディングする間に、何か違ったことを出来るのか、はっきりさせようとした。a-haをよりよく動かすには、どんどんリリースすることだと思えた。前回はプロモーションにすごく時間をかけたから、アルバムの間が3年もあくことになってしまった。今回は、もっと自然にやりたいと思ってる。自爆しないように。3人でスタジオにいた間も、俺が(Savoyで)ライヴをしていて、それがモートンとマグネにはむっちゃ不愉快だっただろうけどね…。」
「思うのはね。金はもうある。生きてるだけじゃだめなのか?なんでいちいち新曲を出すために争わなきゃいけない?だけど俺と音楽の関係は、子供なしでは生きていけない親のようなものなんだ。そして、曲が降りてきたときは…背中がゾクゾクするね…中毒だ」
その快感のために、リフレイン・ジャンキー ワークターは、摂取量を倍にしているわけだ(訳注:バンドを二つやっているという意味)。
「Savoyでニューヨークのナイト・クラブでやっていると色々自虐的なんだけど、でも成長するためにやってる。a-haにはヒットソングがいっぱいある。コンサートが大変だったら、袖からエースを何枚か出して、しのげばいい。ある種パラシュートみたいなもんだ。今、コンサートの後では、ライヴの感想も言いにくる人がいるし、Savoyのレコードが出てるのかって質問もされる。a-haでやる時とは、違う。ぜんぜん違うんだ。」
「免疫がついちゃうんだ。すべての出来事は…とことんインチキだった。底が浅くて中身もないものに時間ばかりかかった。本当に俺たちが楽しんだのは、もう手がつけられなくなってからだな。」
また同じ体験をすると思いますか?
「そうは思わない。わからないけど。そういう経験をするにはグループで何年か時間が必要だ。ちょっと年をとってて、音楽に興味があって、空港で離陸に10時間待つのも平気でなきゃ。」
ノルウェーの新聞によると、1985年だけで50,000,000ノルウェークローネ稼いだそうですね?
「新聞を読むのは面白いね。」ポールは角が立たないように答えた。彼は、いまどきのポップ・スターは、もっと稼いでいると思っているし、残念ながらそれは正しい。彼の同業のアクアのレネは去年だけで70,000,000稼いでいる。我々普通の賃金で働く奴隷には、考えさせられるものがある。
「儲けについては何も考えてない。だけど自分たちは、搾り取られたとは思う。本やポスターやらで1ショット撮るために100枚無駄になるんだろうし。スパイス・ガールズは音楽じゃなくて風船ガムでもっとかせいでるんだろうね。」
君の家族は、起こったことについて、どう反応している?
「売れる前はひどかったね。いつ俺たちがイギリスから戻るのかしか気にしてなかった。その後は大丈夫。」
1985年10月の Dagbladet誌:「息子がエンターテインメント業界のトップにいるのってのは、ちょっと怖いと思わない?」ポールはハリウッドから少し(訳注・電話で?)話をしてくれた。ひどい業界だ。彼らのマネージャーは、ほとんどのポップ・グループが、リバプールのスラム出身みたいな疑わしい出自だと思っていた。この3人が、健全な中流家庭の出身なのは有利だ。
「おっと。ワーキング・クラス・ヒーローのイメージを作ろうと思ってたのに。じゃあ母さんに過去を修正してもらわなきゃ。」